ないものがない世代
僕は現在22歳.
19歳までは,愛知県の比較的田舎で生まれ育った.
今は東京の大学に通う,普通の大学生.
決して裕福な家庭ではないが,特に不自由をしない一般的な家庭.
物心ついた時から,周りは物に溢れ,おもちゃが欲しいとねだったことはあるが,生活に困るものがなかったことはない.
高校に入学した頃には,IPhoneを使い始めた.2011年のことだ.
そんな世の中で生きていると,あれがないから不自由だと感じることは,ほとんどない.いや,全くないと言ってもいいくらいだ.
「ないものがない」のだ.
世の中に出回っているもので,十分すぎる.
一昔前は,現在と大きく違っていただろう.
当時の人は,自動車を作り,ビルを作り,あらゆる加工食品を作りと,まだまだ世の中の不十分な部分を補えば,その人の任務は全うされたことになる.
でも,「ないものがない」世代である僕たちは,一昔前と同じ道を歩むわけにはいかない.
厳密にいうと,歩めるけど,その道は轍があり誰でも通れる道になってしまっている.
では,僕たち世代の多くはどういう道を歩むべきなのか.
それは,自分が「好き」になれるものだろう.
偏愛を持てるものだろう.
偏愛から生まれるそのものの変化のきっかけが持てるものだろう.
ありきたりすぎて,少しださい気がするが,これは実感していることだ.
僕はプログラミングが好きで,数学が好きで,世の中を変えるものを作りたいと思っているから,今のインターンを見つけた.
業務は楽なものではないが,毎日ワクワク過ごしている.
でも,僕の周りでよく聞く話は,「自分が何が好きなのかがわからない」というものだ.
好きなものがわからないのに,よく就活をやれるな〜と思ってしまう.
好きなものを見つけるためにいいなと僕が思っている方法は,いろんな人の話を偏りなく聞くことだろう.
聞きに行くのがめんどくさいなら,スマホで情報を集めてしまえばいい.
今は,Instagram,Facebook,TwitterなどのSNSはもちろん,ニュースアプリでも様々な人が会話をしている.
みんなそれぞれが自分の「好き」なことに関して,投稿したり,話したりしている.
そこで興味を持った分野に詳しい人の話を聞きに行けばいい.
勉強会や公演なんて,毎日都内のどこかで毎日開催されている.
機会がないなんて言えない.
自分の将来を考えないようにしているのと,ほんの少しの勇気がないだけだ.
僕たちの世代の半分は100歳以上まで生きると言われている.あと80年もある.
生きがい,自分が一生かけて成し遂げたいこと,夢中になれることは,焦って作る必要はない.
でも,それを見つけてからの人生は今までにないほど,楽しめる人生だろう.
それが自分の人生を生きるということなんだろう.